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(医)あかね会の腎不全治療

理事長 土谷晋一郎

土谷病院では、1967年12月、平板(キール)型ダイアライザーを使用し、血液透析療法を開始しました。透析装置は、オランダの医師、ウィレム・コルフ博士によって、第2次世界大戦中、発明されました。当時は、透析の度に新たな血管を確保せねばならず、長期の治療は不可能でしたが、1950年代終わり頃、ベルディング・H・スクリブナー博士が、テフロン製のU字型チューブ(スクリブナー・シャント)を発明し、重症慢性腎不全症の治療が一般化されました。

1969年末、土谷病院の透析患者さんは、40名に達していました。そのうちの1人の老人が、ある日急に透析治療に来られなくなりました。以前よりこの老人は透析に多額の自己負担がかかることを大変気に病まれ、週2回の透析を時間延長して週1回にするといったことをして治療費を少なくしていましたが、とうとう透析費用の負担に耐えきれず、これ以上家族に迷惑をかけられないということで、透析をあきらめたのでした。このような悲劇は、全国あちこちでおこっていました。1970年4月26日、土谷病院の2階の喫茶室で、全国で最初の透析患者さんの組織、広島県人工腎友会の結成式が開かれました。腎友会の設立目的は、「透析費の公費負担、透析患者の社会復帰の促進、透析治療の公知化」の3点を訴え、多額の自己負担が必要だった当時の医療制度の改革を目指すものでした。1971年6月には全国腎臓病患者連絡協議会(全腎協)が結成されました。やがて、全腎協の活動が実を結び、透析が公知され、透析治療患者さんの自己負担は大幅に軽減されていきました。

慢性腎不全の治療法には、透析(血液透析・腹膜透析)と腎移植があります。週2・3回、1回数時間の透析治療となる血液透析に比べ、腹膜透析は、24時間連続して透析を行なえるという特徴があり、脳心血管系疾患の合併症が少なく、残腎機能を保持できるという長所があります。しかし腹膜透析開始後、数年経過すると残腎機能が低下したり、腹膜機能が低下したりして、腹膜透析だけでは十分な透析治療を行なえなくなり、補完的に血液透析を行なう必要がでてきます。

故土谷太郎前理事長は、「広島県腎友会15年のあゆみ(1984年6月15日発行)」に、「重症腎不全症治療の将来」という題名で、寄稿しております。一部抜粋します。「以上述べた様に重症腎不全の療法は現在ですらも、血液透析・腹膜透析・腎移植と、完全に行なえる療法を色々と選択することが出来るようになった。この傾向はこれからも益々発展してくると考えられる。将来は、病状・年齢・職業・居住条件・家庭状況その他の条件をよく考えて、どの療法が一番自分に適しているのかを医師とよく相談して決めるようになっていくであろう。丁度食堂に行っても定食だけでなく一品料理を選ぶように、言わば、ア・ラ・カルト療法を行なうようになるであろう。」

最近は、自由で質の高い透析治療を患者さんに提供し、予後とQOL(生活の質)の改善を達成するため、患者さんの状態に応じて、残腎機能・腹膜透析・血液透析・腎移植を組み合わせ、それぞれの治療の長所を生かし短所を補完しながら包括的に腎不全治療(Complementary Dialysis)を行なう時代になってきました。土谷総合病院では、2008年1月、第1例目の腎移植を行ないました。また、在宅血液透析も行っています。介護が必要になられた患者さんには、あかね会在宅事業部がホームヘルパー・訪問看護師を派遣しております。通院が難しくなった患者さんには、療養環境の優れた阿品土谷病院に入院していただいています。また、認知症になられ、徘徊のリスクのある血液透析患者さんは、阿品土谷病院に隣接する老人保健施設シェスタのC3棟(認知症専門棟)に入所いただき、阿品土谷病院透析室へ通院していただいております。

今後とも、よりすぐれた包括的腎不全治療が行なえる態勢づくりを目指していきたいと考えております。